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​セッションを提供させて頂いている理由

なぜか自己実現への想いが強かった幼少期

私は岡山の田舎で育ちました。物心ついた時から、私の背後から誰かに

「私はひとかどのひとにならないといけない」と言われている感覚があり、

幼少期から自己実現に並々ならない想いを寄せるような子でした。

小学校の頃は、オリンピックで金メダルを取るとか、ユニセフで働く、

大学教授になるといった夢を描いていましたが、それは頭で考えた夢で、

心からしたいと思う夢ではありませんでした。

何か心からしたいと思う夢は見つかっていなかったのですが、

見つかった時に備えて勉強だけはきちんとやっておこうという想いが

あり、勉強はがんばる子どもでした。

 

 

マイケルジャクソンのマネージャーを夢見る大学受験

 

大学受験に入り、まだやりたいことが見つかっていなかった当時、

同級生に見せてもらったマイケルジャクソンのミュージックビデオに

魅せらせ、マイケルジャクソンのマネージャーになりたいと

真剣に思い、大学で英語を勉強しようと決めました。一方で、私には

保育園からずっと一緒の幼馴染がいて、彼女が行く大学に行きたい

と思い、東京外国語大学を受験することを決めました。

でも、東京外大の英米科の偏差値は高く、私は受からないと担任の

先生に言われ、合格できる可能性があるスペイン語科を選び、

東京外大でスペイン語を勉強しました。

 

 

外務省に入省

 

当初は、嫌いだったスペイン語もやがて、大好きになり、スペイン

語を使って仕事がしたいと思うようになり、外務省に入り、専門職

スペイン語専門として、10年働きました。

 

外務省に入省が決まってから入省までに、運命的な本との出会いが

ありました。それは、佐々木かをりさんの本でした。当時、日本の

女性起業家として、象徴的な存在の方だったと思います。その方の本を

読んで、私も将来、自分の名前で働きたい、人生一度切りなので、

自分に何ができるか挑戦してみたいと純粋に思いました。

幼少期に感じていた自己実現への想いを思い出したんです。

 

 

こう書くと将来外務省をやめて起業したいと入省前に思ってしまって

いたこことにお世話になった外務省に、とても申し訳ない気持ちに

なりますが、正直に書きます。一方で、声を大にして言いたいのは、

外務省は私にとって素晴らしい職場で、外務省にして頂いた事、

そこで出会った方、できた経験、頂いたチャンス、全てに深く深く

感謝しています。後に実際、辞める時は、かなり悩みました。

 

東日本大震災チャリティーイベントで感じた天職感

 

外交官として、エクアドル勤務していた時に、外務省を退職しよう

と決意した出来事がありました。それは東日本大震災でした。

エクアドルにいて、刻々流れてくるニュースを見て、涙が止まらず、

周囲の人に心配されたほど、ショックを深く受けていました。

被災地の人のために何かしなければという強い想いに

掻き立てられていた際、エクアドル人の友達がチャリティーイベントを

やろうと提案してくれました。大使館はチャリティーはできないので、

私は自分の仕事の時間以外の時間にチャリティーの準備をしました。

2週間くらいで準備したのですが、あらゆる知り合いに協力をお願い

しました。数え切れないい人、企業が協力して下さり、一日のイベントで

2千人以上の来場者がありました。私は準備していたこの2週間の

記憶がほとんどありません。わき目もふらずに色んな方に協力をお願いし、

ひたすら開催準備をしていました。何かに突き動かされて、

あたかも宇宙が私という人間を通じて、宇宙の力を被災地の人のために

発揮したというような感覚でした。わずかな期間で、大きな力に動かされ、

大イベントを実施した感覚を経験した後、私は残りの人生、

このような感覚と自己実現感が1秒でも多く感じられる仕事

を自分の力でしたいという気持ちがさらに強くなり、

ゆくゆくは退職しようと決意しました。

 

 

霞が関で天職探し、外務省退職へ

 

エクアドル勤務から東京の外務省の勤務に戻り、この間に独立して

やりたいと思う仕事を見つけようと、スペイン語の教師、執筆、

通訳、講演など思いつくことは全て挑戦しました。

起業コンペティションにも出場し、「田舎で天職を見つける

コンサルティング」という自分のプランで賛同者を集め、

異業種のメンバー8名を率いるチームリーダーとなって、

起業プランを作り、優勝しました。

 

 

外務省の仕事においても自分のポテンシャルを伸ばせるものは何

でもやろうと、自ら手を挙げて色んな仕事をさせてもらいました。

その中で、花開いた仕事がありました。それはスペイン語通訳の仕事

でした。スペイン語が大好きなので、声大きく、テンポよく、通訳を

していました。それが評価され、どんどん通訳の場がステップアップ

して行き、外務大臣の会談、総理の会談、皇室の通訳を任される

ようになりました。2014年には、安倍前総理のスペイン公式訪問・

中南米公式訪問に安倍総理夫人の専属通訳として同行させてもらいました。

その経験から外務省でやり切った感もあり、また、一方で、

辞めないと自分の天職はわからないのではないかという気持ちに

なってきてきたいので、2014年9月に、10年半年の外務省員人生に

終止符を打ちました。

 

 

独立、天職研究との出会い

 

退職後、何をしようかと考えていた時に、地元岡山の大学から講師

の仕事をオファーされました。海外勤務していた時に、海外で日本

人の若者をあまりみかけなくなったことを実感し、海外に羽ばたく

若者を多く送りだしたいと思ったことから、その仕事を引き受けました。

 

講師になり、学生から就職に関する相談を受けるようになりました。

私はそこで、大きなショックを受けました。自分に自信がなく、

自分が心から何がしたいのか、自分が本来持っている才能は何かを

探求しようとせず、自分自身で自分の可能性を閉じ、就けそうな仕事

を選んでいる学生が少なからずいたんです。

人は一人一人、これをやるために生まれてきたという使命があって、

その使命を果たすために必要な才能や資質は持って生まれてきている

と私は前から信じていたので、その使命や才能を引き出すには、

どうしたらよいのだろうと考えるようになりました。そして、この考えは、

まさに天職のことを指すのではないか思い、天職の見つけ方に関する論文を

Google Scholarで探しました。日本人による天職による論文は

少なかったのですが、欧米ではcallingやvocationという表現で天職に

関する研究論文が多数あり、私はむさぼるようにして読み始めました。

 

論文に書いてあった天職の定義「それをしている自分が最も自分ら

しくいられる」、「最も幸福を感じられる仕事」、「それをしている

自分が、他のどんな仕事よりも社会や人の役に立っていると感じら

れるような仕事」に惚れ、一人でも多くの人が天職についたら、

素晴らしい世界になると思い、やがて自分でも天職の見つけ方の

研究をしたいと思うようになりました。

2017年には、天職研究が盛んなアメリカの大学や学会に行き、

Yale大学やPennsylvania大学などの天職研究者と直接会い、

意見交換や天職研究の助言を頂きました。

渡英して天職研究、そして起業

そして、一念発起して、日本でしていた仕事を全て辞めて、2018年

9月に渡英し、ロンドン大学Goldsmiths collegeの職業心理学修士で

学びました。卒論では日本人漫画作家の天職の実現の仕方を研究し、

成績優秀で卒業しました。私は、留学中にイギリスで起業できる

ビザを取得し、天職研究と並行して、2020年に日本と欧州のビジネス

を結ぶコンサルティングの会社を設立し、外務省入省前に自分に

誓った通り、起業の夢を果たしました。

 

一方で、天職研究への情熱は冷めることはありません。一人でも多くの人が

天職についている社会になったら、幸せな人が増え、天職についている

人による最高のサービスや商品が社会にあふれ、素晴らしい世界になる

そんな世界を作りたいと思っています。

そんな世界の実現に貢献したいと、天職研究を続けており、現在は、

日本、オランダの大学教授等とともに天職の共同研究を行っています。

 

また、一人でも多くの人が人生を終える時に、この仕事をするために

生まれてきたと思える仕事につけるようお手伝いしたいと思い、

自分の会社の経営の傍ら、週末限定1日1人限定で最新の天職研究事例を

取り入れた天職実現セッションを提供させてもらっています。

noteでも詳しくこれまでの人生を綴っていますので、よかったら、

​読んでみて下さい。コチラ

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